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「自分を愛せる使い方」ができること。作家・岸田奈美さんが願う、お金の良い循環とは

今回お話を訊いたのは、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の著者、作家の岸田奈美さんです。
 
noteで発信していた岸田さんのストーリーは、ダウン症の弟さんから学んだことや、14歳の時に経験されたお父様の急逝、さらに、心臓の病気の後遺症で車椅子が必要となったお母様との日々など。ご家族への愛と正直な言葉に共感が集まり、2024年にはNHK総合からテレビドラマ化もされました。
 
note購読者から届けられる価値は、岸田さんという器を通じて広がり、社会で良い循環をしているように感じます。多忙な活動を支える活力の源と、笑顔の根底にある思いについて、お聞きしました。


ネットに吐露する原体験。匿名の優しさに救われた

-noteでは本当にたくさんのエッセイを発信されていますよね。

2019年から書いたエッセイは、450作を超えました。初めの頃は、全員に喜んでもらえるものを書かなくてはいけない、というプレッシャーが強かったんです。どうすれば世の中で認められるかと考えていました。
 
変化のきっかけは(クリエイターエージェンシー・コルク代表の)佐渡島庸平さんに、「岸田さんが安心して書きたいことを書いていられるような環境を先に作ろう」と言ってもらったことでした。
 
「バズらなくてもいいし、別に面白くなくてもいいから、岸田さんが書いていることが嬉しいという方たちに支えてもらおう。そしたら正直なものを書けるし、チャレンジもできるから」って。そんなこと言ってくれる人はそれまでいなかったので、すごく嬉しかったですね。自分だけでは、noteの有料マガジンを作ることも思いつかなかったと思います。
 
おかげで今はめっちゃ苦しいとか、逆にめっちゃ楽しいとか感じた出来事を書いています。

もともと人と話すことが好きなんです。でも空気は読めない。それでいて、相手に笑ってもらいたいとか楽しませたいとかいう気持ちも強いので、喋りすぎちゃうところがありました。子どもの頃は「奈美ちゃんといると奈美ちゃんばっかり話してる」と、周囲に避けられていたかも。本当に、思っていること何でも口にしちゃうので。
 
7歳の時にお父さんが「お前の友達はこの向こうになんぼでもおる」ってパソコンを買ってくれました。今思うとすごい先見の明だと思いますけど、そのおかげで、まだWi-Fiもない時代からネットの世界に書き込むようなことをしていました。ネットでは、自分の話をし続けても誰も止めないし、いくらでも書いていいし、読んだ人はコメントくれるしで、嬉しかったですね。

お父さんが亡くなった時も、お母さんが車椅子ユーザになっちゃった時も、やっぱり身近な人たちにはあまり話せなかったんですよ。反応に困るのもわかるし、気を遣わせてしまうのが耐えられないと思ってしまう。だからこそ、ネット上の匿名のみんなが反応してくれたことに救われました。あの時たくさんの人が読んで反応してくれた喜びは、書くことの原点になったと思います。

ポンコツのまま愛される場所へ行こう

-ご家族のことを書くことが多いのも、ご自身の喜びからですか。

そうですね。やっぱり私は家族が大好きなので、他の人にもわかってもらえるのはすごく嬉しいです。私自身は昔からダメな人間で自己肯定感も低くて、ずっと自分に自信がありませんでした。
 
家ではお父さんもお母さんも、小さい時からめちゃくちゃ褒めてくれたんですよ。「奇跡の二枚舌外交」って呼んでいるんですけど、両親ともに、弟の良太には「お前が一番最高や」って言い、私には「奈美ちゃんが一番、良太は二番や」と言っていたんですよね。だからお互いが「お前は二番目でかわいそうにな」と内心で憐れみながら仲良くしていたところがあるくらい。
 
でもこれ、本当に大事なことだったと思うんですよ。私が今とてもフラットな気持ちで弟に向き合えたり、素直に「すげえな」と尊敬できるのも、両親のおかげだと思っています。これがもしも、「障害のある弟のために生きろ」とか「お姉ちゃんやねんから介護頼むで」とか言われて育っていたら、人生でつまづいた時に絶対、弟のせいにしてしまっていたはずなので。

会社員の時の私は本当に、何をしても失敗ばかりでした。会社のことは大好きなのに、働けば働くほど人に迷惑をかけている自分にすごく落ち込んでしまったこともあります。
 
その時、弟の良太とふたりで旅行に行ったんですけど、ずっと一緒にいて「良太、本当にすごいな」って何度も思いました。弟は、人の目を気にしないし、うまく喋れないけど、でも周りをちゃんと観察して、自分なりにどうしたらバスに乗るための小銭が作れるかを考えて行動していました。自分にできることをして、それによって周りの人から愛されている弟を見て、本当にすごいなって。

でもなぜか世の中からはいつも「知的障害のある子がいると大変そうだね」とか「苦労してるね」とか、あと「ダウン症の子は天使だから」といった言葉をもらうんです。その度に「良太のすごさが全然伝わってない」と思っていました。失敗ばかりの私より、ずっと良太の方がすごいのに、わかってもらえない悔しさがありましたね。弟は私の自慢ですから。
 
それで文章にし始めたら、たくさん反響をいただくようになりました。私が「良太すごい!」って思った気持ちに間違いはなかったんだと思えて、とっても嬉しいです。

佐渡島さんから「岸田さんはこれまでたくさん傷ついてきたと思う」って言われたんです。「家族のことや、社会でうまくできない自分自身。いろんなことに傷ついて、怒ったり悲しんだりしてる岸田さんだから、人を傷つけない文章が書けるんだと思う」と。
 
今なら、誰も傷つけない文章なんて無いとわかるんですが、でもそう言ってもらえたことが大きな気づきになりました。迷惑ばかりかけていた私だからこそ、エッセイに書くことで同じような人たちの励みになったり、笑ってもらえるかもしれない、と発想転換できるようになったんです。
 
前職の株式会社ミライロは、障害(バリア)を価値(バリュー)に変える、「バリアバリュー」というビジョンがある会社だったんですけど、障害だけじゃなく、私自身も当てはまるかも、と思いました。できないことなのに無理をして、自分も周りの人も苦しむのではなく、ポンコツのまま愛される場所に行こう。そう思えたのは、一番大きな変化だったと思います。

両親のおかげ。信頼と笑いに内包させた、怒りと悲しみ

-エッセイを書く時に、大事にしているのはどんな感情ですか。

自分の中で強いのは「悲しみ」です。あとは「怒り」も。理不尽なことにはやっぱり怒っています。
 
ただね、怒りの感情はそのままだとすごく広がってしまうんですよ。特にSNSではものすごく広がりやすい。けど怒っている人や悲しんでいる人のことって、自分に余裕がない時は見れないんですよね。むしろ敵対心とか、避けられてしまう。だから敵よりも味方を作らなきゃいけないと思います。これは、弟の子育てをする母を見ていて気づいたことでもあり、人を笑わせる天才だった父の影響でもあります。
 
岸田家はどうしても、周りに頼ることが多いんです。味方がいないと生きていけない。私がSNSやエッセイであまり怒りや悲しみを出さないのも、同じです。わかってもらいたい気持ちもありますけど、でも、自分の感情を理解してもらえることより、私がいなくなった世界でも母や弟が幸せに生きられることの方が重要なんです。
 
だからこそ、読んでくれる人たちとは、怒りや悲しみ以外の気持ちで繋がっていたいですね。私の感じた楽しさに共感してもらいたい。読んだら元気になったと思ってもらいたい。説教くさくなく、恩着せがましくもない、けど、なんでだかいろいろ考えちゃう。そういう世界観のものが書きたいです。

お金を持っていない弟がコーラを万引きしたかもと思ったらコンビニの人が立替てくれていてくれた時も、良太が毎回ちゃんと挨拶していたからこその信頼がありました。人は弱い存在だけど、挨拶という根源的なことによって、生きるための味方を作れると教わったんです。

もっと言うと、心無い言葉や、争いや問題に対しても、全くのネガティブだと捉えてないところもあります。
 
以前、Twitter(現:X)で「ガイジ(障害児)は生きる価値なし死ね」と書かれたことがあるんですが、書いた本人にDMをして、2〜3時間話したことがありました。結果的にわかってもらえたし、私としては「なんでこんな風に思うんだろう?」という問いの答えを知る方が意味のあることです。
 
良太はダウン症のため、言葉がうまく話せないんですけど、世の中のことをすごくわかっているんです。ただ言葉にはできない。だから良太が何かする時は必ず意図があって、私も「なんで今これがしたいんだろう?」と考えるようになりました。
 
以前、思いがけず大金(30年間働いて手にするはずの収入と同等額)を得た弟は、自分が欲しいものがあるのにそれを買わず、体調不良で寝込んでいた母を労わったり、人におごることを選んでいました。知的障害があるとどうしてもお金を持たせてもらえないし、使う自由もないので、良太は、誰かのために何か買ってあげることに憧れていたんです。そんな気持ちがあったんだと気づくことができて、本当に良かった。トラブルや争いは確かに大変だけど、それまで気づけなかったことを知るチャンスだと捉えるようにしています。

-作家として活躍の場が広がっていると思いますが、今後はどんなことにチャレンジされる予定ですか。

毎週1本のエッセイは続けていく予定です。もう呼吸と一緒なので、考えずに書けるし、同時に、自分との対話みたいなものでもあるので。今後はより自分が納得できる良いものを書けるように目指しています。
 
あとラジオドラマの脚本にもチャレンジさせてもらっています。『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』がドラマ化されたことで、みんなで一緒につくる現場の素晴らしさに感動したんですよね。ドラマの現場では、初めてダウン症の俳優さんを迎えるにあたり、どんなケアが必要かよく考えられていて、優しく、それでいてプロフェッショナルな現場でした。
 
その後、ドラマとは別にラジオドラマの脚本のお話をいただいて、迷いつつもお受けして、フィクションで書かせてもらったところです。エッセイで事実として書いてしまうと、不本意に誰かを傷つけてしまいそうなことがあります。SNSと共に生きているので、誰かを悪者にしてしまうことをそのままエッセイには書けません。フィクションの力を借りることで、誰かのケアや慰めになるようなことを伝えたいと考えています。

投資という名の愛は、別の形の愛にして循環させる

-有料マガジンのおかげで安心して書けるようになったとのことでしたが、お金の循環については、どんなお考えをお持ちですか。

2つあって、1つは以前「ひふみ投信」の藤野英人さんから、「ありがとうが最強の投資」と聞いたこと。もう1つは、同じ頃に読んだ、近内悠太さんの『世界は贈与でできている』ですね。見返りを求めるのは交換である、と書いてありました。本来の贈与は見返りがなく、相手も気づいていない状態で贈るものであり、人を幸せにするものだって。
 
たぶん、みんな誰かの役に立ちたいし、誰かに愛されたい。私のエッセイにお金を出してくれる方々も、そんな感情なのかな、と想像するんです。純粋に私に喜んで欲しいと思ってくれているとか、自分では気づかなかったことを書いたからありがとうって思ってくれているのかな、とか。
 
そうした意図を感じられているので、マガジンの購読料は遠慮なく、ほとんどをエッセイを書くために使っています。従来のような、出版社から支払いを受け取る作家にはなかった仕組みのおかげですね。読者との距離が近いおかげで、みんなから「がんばれ」という愛の投資を受け取っているんだと思えるんです。だから私はまた別の形で、他の誰かに渡る愛へと変える。そういう意識でいます。

-ボルボV40を買った一連の出来事はまさにそうした循環を感じますね。

あの時はただただ母のことを考えて買いました。銀行口座の残高が7万円になってビビりましたけど、でも亡くなった父も乗っていた、うちの家族を象徴するようなメーカーの車だし、運転しながら泣いている母を見た時、買って良かったと思えました。何より、母が手だけで運転できるよう、改造に尽力してくれた販売店と、工場の皆さんのことをみんなに知ってもらいたい!と思ってnoteに書きました。
 
そしたら結果的に、もう一台車が買えるくらいの、ものすごいたくさんの投げ銭があったんです。約1700人もの人から寄付が寄せられて、感激と同時に、使い方に困惑を覚えたくらいで、これは「ボルボの埋め合わせ」にしてはいけないと思いました。一旦、愛として受け取らせていただいた後、国連の「世界ダウン症の日」である3月21日に、ダウン症について知ってもらうための新聞広告を出させてもらいました。

稼ぐ、使う、それ以外。みんなで考えたいお金の役割

-お金を使うことについて岸田さん自身が気をつけていることはありますか。

お金って、稼ぐことも使うことも大事だけど、それだけが大事だと思うのは違いますよね。うちのお母さんはかなり長い間、十分に働けない罪悪感を拭えず、車椅子になってから10年以上も「奈美ちゃん、ごめんね」ばっかり言っていました。
 
でも私にとっては、母が元気でいてくれることの方が、母が無理して働くことより重要なんです。母のように、明るくてみんなに好かれる人がいてくれないと、岸田家の生存率は下がってしまう。私が代わることができない役割ですから。
 
弟も同じです。作業所のお給料は、昼食代を抜いたら赤字になる。世間的にはお金が稼げない人と言われるんでしょうけど、でも、お金を稼げないのに人から食べ物をもらえたり、生きててほしいと愛される人の方がよっぽどすごいですよね。地球が滅亡しかけて現金が紙切れになった時、生き残るのは弟の方だと思います。
 
どうしても稼ぐことができない人たちはいる。稼ぐ以外の役割の人も大事だとみんなで自覚できたら、その方がもっと良い経済が回るんじゃないかな。

例えばパリでのパラリンピックに母と行ったのですが、ハイブランドのお店が並ぶシャンゼリゼ通りにある、「Café Joyeux(カフェ ジョワイユ。意味:ハッピー)」というカフェが大繁盛していました。
 
そこは障害のある方が働くお店なんです。入口に立っていたダウン症の店員さんはただ、”Bonjour!(ボンジュール)”と挨拶するだけの係。でも彼に惹かれて次々にお客さんが入って来るんです。レジもオーダーも商品提供も、見ている方がヒヤヒヤするほど遅くて、なんなら間違えたりもするんですけど、でも誰もクレームを言わないし、むしろ楽しそうでした。金額もいいお値段がしますが、ここで食事ができて嬉しい、とお客さんは喜んでいて。ヨーロッパに14店舗もあって、働く人のお給料は一般のアルバイトと同じレベルだそうです。
 
作家になった今も別にお金の使い方がうまくなったとは思いませんが、でもこのカフェに行った時や新聞広告の時みたいに、「やったね、私!」と素直に思えるような、いいお金の使い道ができることもあります。自分を愛せる使い方、みたいな。そういうことを続けていけると良いなとは思っています。

個人的なことにこだわる。小さな主語に届ける愛

-今のお話も十分にヒントになりそうですが、最後に、社会課題の解決側になりたいと悩む方々へ、何かアドバイスをお願いできますか。

主語を小さくすること、ですね。私は大学の時、ソーシャルビジネスを学ぶ学科に通っていたので、80名ほどの学生はみんな社会課題への解決にものすごく熱心でした。でも彼らの関心は、開発途上国の支援に向かうことが多かったんです。私は、母のように車椅子を使う人たちが生きやすくなることを仕事にしたくて進学したので、もっと日本の問題にも注目して欲しいと思いましたが、その時はまだうまく悔しさを伝えることもできませんでした。それにみんなすごく真面目で、4年間めっちゃがんばっていたのも事実です。

しかし「途上国」とか「世界」といったレベルの主語は、あの時の彼らには大きすぎたと思います。高い理想で努力したのに、結果的に社会に出ると、志と現実のギャップに苦しんでしまう人も多いようでした。
 
自分にできることを考えるなら、できるだけ主語は小さくして、自分に置き換えて考えてみることが大切だと思います。自分は一体、何に悲しみ、何が辛くて、どんな生き方をしたいのか。自分や、自分が実際に知っている人のなかで、苦しさを抱えている人はいなかっただろうか。
 
私も編集さんから、作家とは小さなことを言い続ける存在だと教わりました。個人的なことを言い続けることによって、個人的な共感が生まれるから。別に障害者を救うことに関心が高いわけではないけど、でも岸田さんの弟みたいな人が困っていたら助けようと思う。そういう人が増えて、その先にまた影響を受ける人たちがいて、世界は少しずつ変わっていくんじゃないかな。
 
また大学の時に、社会貢献は経済性と社会性の両軸がないと実現できないことも学びました。作家としてちゃんとお金を稼いでいくことが、結果的に弟やお母さんが生きやすい社会になる。だからこそ私は、世界中の障害者を救うため、ではなく、うちの家族とそこに関わってくれる人たちのために、全力で愛を届けたいと思っています。

取材・文:やなぎさわまどか
撮影:樋口勇一郎
企画・編集協力:ハーチ株式会社・IDEAS FOR GOOD編集部

今回インタビューさせて頂いた岸田奈美さんをお迎えし、Money for Good主催のイベントを2025年1月7日(火)に開催します。社会的金融教育家の田内学さんとの特別対談になります。Money for Good読者にもファンがとても多いお二人のイベント、是非申し込んでくださいね!

イベント詳細

日時:2025年1月7日(火)18:30~19:45 (18:00開場)
場所:オンライン/オフライン同時開催
  オフライン会場:Olive LOUNGE渋谷店2階 SHARE LOUNGE内セミナー会場
定員:180名(オンライン150名/会場30名)
※会場を希望される方が30名を超えた場合は、抽選により参加者を決定いたします。
参加費:無料
申込サイト:m4gevent01.peatix.com/
応募受付期間:2024年11月29日(金)~12月23日(月)
※お申込みにあたっては申込サイトに記載されている注意事項等をよくお読みの上、お申込みください。

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